「美しい農村風景」って何だろう。


最近、読んでとても共感を得た本、真田純子著「風景をつくるごはん」から、印象的だった箇所を紹介したい。

農業の大規模化が標準的な農表とされることによって犠牲になるのは、広大な平地を確保できない中山間地だ。このように、単一栽培や集約的農業に向かなかった山間部は過疎が進み、再自然化が起こったり、耕作放棄が進んだ。
過疎化を単純に工業の進展などに捉えるのではなく、農業に効率化を求めた社会全体が引き起こした問題であると考えるのが妥当だ。
中山間地の過疎化の要因は、それらの場所が「がんばらなかったから」ではない。

指定産地制度による単作化の推進

1966年に「野菜生産出荷安定法」が策定された。これは、「野菜指定産地制度」とも呼ばれ、一地域で生産する種目を決めて「産地」の形成を促す制度である。
同時に設けられた補償制度は、指定産地になれば価格の著しい低落があった場合に「生産者補償金」を受け取ることができる制度だ。おのずと「産地化」が進む仕組みになっていた。

当時、物価の急上昇が社会問題化していたが、特に野菜価格の上昇は激しく、物価問題の中心的課題となっていた。要因は産地が遠くなって輸送距離が長くなったことによる輸送コストの上昇だ。
農林水産省は出荷の効率化、大量化を目指していたのだ。

単作化は、地域で決めた作物を、求められた品質でつくるという単純労働に近い仕事になるということであった。

仕事の質が変わっただけでなく、土地との関係で工夫する余地が減った。土地に根差した農業をすることでつくられてきた文化が失われるという側面ももっていた。
多角経営は、災害の多い日本においてリスクを分散させる方法でもあった。単一栽培は多雨や病害虫に全てが同時にやられてしまう可能性が高い方法である。

風景の変化もある。かつて多品種少量生産を行っていた農村では、斜面の向きによる日当たりの多寡や土の水分量の違いなどによって畑を使い分け、パッチワーク状の農地ができていた。しかし、産地化によって「どこまでも続く大根畑」のような風景に変化したのである。効率を求めれば当然、一枚当たりの耕地は拡大し、畦などに植わっていた木や点在していた林はなくなっていった。
風景の均質化とともに農地の生物多様性も低下したといえる。

「便利」の変化と過疎

過疎化、高齢化は農村の維持管理を難しくした。そのため、作業を楽にするために土水路はコンクリートのU字溝に変更され、畦はコンクリートに塗り固められ。棚田を構成する石積みも、壊れたところからコンクリートになっていっている。
農業資材で竹を使わなくなったことで放置された竹林が増殖して山を覆う現象が各地で問題になっている。

環境的、社会的、経済的に豊かな農村のために農業があること、経済的発展と同時に国土保全や地球環境の持続可能性も重要であることを考えれば、これまでやってきた経済的側面を中心にした大規模化、単作化、エネルギーを多用する「近代化」は、「進化」とは呼べないのではないだろうか。

価値観が変われば「良いとされるもの」も変わる

私が通い始めたころ、なぜこんな不便なところに住んでいるんだろうと思っていた。しかし、何度も通っているうちに、ここが山の暮らしには「便利な土地」なのだと考えるようになった。軒下では、季節ごとに豆やサツマイモ、大根が干されている。谷からかなり上がったところにあるので、空気が乾燥しており、南向きの斜面なこともあって、乾燥保存するのに向いているのだ。(中略)
時代が進み、機械で乾燥させるようになって、土地の力を借りる必要がなくなり、「便利」の基準は変わってしまった。「地の利」を使わなくなったことによって、中山間地はただ「不便な土地」になった。しかし、時代は転換しつつある。天然のエネルギーを最大限に使えることに価値をつけられれば、中山間地は再び「便利な土地」になる。

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