アリス・ウォータース著 「スローライフ宣言」~食べることは生きること~ から考えること


アリス・ウォータースが1971年、カリフォルニア州バークレーに開いた1軒のレストラン「シェ・パニース」は、ファストフード文化に一石を投じ、世界中に影響をあたえる場となった。そんな、食の革命家アリス・ウォータースが50年間の経験をもとにまとめた本書は、アメリカの変化、言い換えればグローバルな市場資本主義が、社会やわたしたちの生活をどのように変えてきたのかを納得しやすく解説し、未来に対して警鐘を鳴らす名著です。

◎以下、「スローライフ宣言」の内容から気になった箇所を抜粋して紹介します。

ファストフード文化とは

ファストフードは、食べ物だけの話ではない、文化の話なのです。
文化は、人がどう世界を見るかを形づくります。社会でどう振る舞うか、自分をどう見るか、どんな自己表現をするか、どう他人とふれあうか、何を信じるか。どんな服を着るか、何を買い、何を売り、どんなビジネスを行うか、どう家を構えるか、娯楽、ジャーナリズム、政治、すべてに影響します。

今や世界中で、ファストフード的価値観が人の行動を決め、その人の行動が文化をつくります。
ファストフード文化とそれがもたらす価値観。これが、私たちの問題を育ててている土壌です。
このファストフード的価値観を検証しなくてはなりません。

ファストフード的価値観①
便利であること

ファストフード的価値観の一つ目は「便利であること」です。便利さは暮らしを楽にしましたが、その中毒性には問題があります。
希望や自信、そして自分のことを自分でやる力を手放すよう誘惑するのです。

根気のいる仕事から解放され、不自由のない暮らしを得たことで、食事を一から作ることなど考えない人が増えています。

便利なものに頼りながらはじめてしまうと、料理は苦役でしかありません。料理のすべてを自動化、機械化してしまうと、誰か他の人がやってくれたような感覚になります。料理が好きな人が減っているのは無理はありません。

コロンビア大学法学部教授ティム・ウーがニューヨークタイムズに投稿した記事「利便性の独裁」より
「便利教の崇拝は、難しいことが人間の経験として大切だという認識を許さない。利便性の中にあるのはただ目的地のみで、旅が欠如している。自ら山を登る行為は、頂上までトロッコで運ばれるのとは本質的に違う。私たちは、成果至上主義の人間に成り下がろうとしている。自分たちの人生経験をすべて、トロッコで運ばれるだけにするリスクにさらされているのだ」

ファストフード的価値観②
いつでも同じ

「いつでも同じ」は、どこに行っても同じ見た目で、同じように存在し、同じ味がするべきであるというファストフード的価値観です。

産業化された食のシステムは、効率のいい流れを滞らせないために、「いつでも同じ」を追求します。その方が速く、安く、そして便利だからです。

画一性を追求することで、私たちは食の多様性を失っています。作るのに手間がかかるユニークな食べ物は消え、切れ間なく生産することができる食べ物ばかりが増えていきます。

民族植物学者のゲイリー・ナブハンは、「作物の多様性が失われることは、文化の多様性を失うことに直結する」という。

ファストフード的価値観③
あるのがあたりまえ

「あるのがあたりまえ」は、ほしいものは何でも、いつでも、どこでも、24時間365日入手可能であるべきだという考え方です。

いつでも手に入るから季節が意味をなさなくなり、産地がどこであるかも関係なくなります。

食材が「あるのがあたりまえ」になると、そもそもの好奇心や関心がなくなるのです。ただそこにあるだけなのだから、農業(畜産・漁業)の素晴らしさと不思議、それに、それがどれだけ大事な仕事であるかについて、人生からすっかり消えてしまいます。

「あるのがあたりまえ」だと思っていると、食の流行に影響を受けやすくなります。ケールやアボガドがそうです。特に、アボガドは、今日世界中に年中あります。アボガドの単一栽培にはたくさんの水が必要で、メキシコなどの生産地では帯水層が枯渇しています。

「あるのがあたりまえ」であることは、「いつでも同じ」のグローバル文化を形作っているのです。

ファストフード的価値観④
広告への信頼

ファストフード文化は、広告を通して広がります。広告には、考え方や倫理観、世界観を形作る力があります。

「米国の子どもは、食について教室で学ぶ前に、繰り返し流れてくる広告で何を食べるべきかを教えられているのだ」
(2006出版・「おいしいハンバーガーのこわい話」エリック・シュローサー&チャールズ・ウィルソン)

言葉がものすごい勢いでハイジャックされることに、怖さを感じます。たとえば「サステナブル」など、食のムーブメントが自分たちを表現する言葉を見いだすたびに、ファストフード産業がそれを吸収し、どこでも無差別に使うようになります。すると、その言葉は意味をなさなくなり、曖昧で誤解を生む種となります。

ファストフード的価値観⑤
安さが一番

私たちの世界では、適正価格と安さが混同されています。安さが一番大事になると、商品の品質が気にならなくなります。お得感がすべてになってしまい、それが自分の地球にとっていいものかどうかなど、誰も語らなくなります。

学ぶべき真実はひとつです。食べ物は敵性価格でなくてはなりません。

ファーストフード文化は、自らを広めるために、世界各地にもともと存在している伝統料理を骨抜きにした偽物を量産しています。そのため、本質的、伝統的に栄養価が高く、経済的だった食事が失われています。
安さが優先されると、購入する商品が誠意を持って作られたものかどうかわからなくなります。

ファストフード的価値観⑥
多いほどいい

「多いほどいい」という価値観は、もっと多くを所有すること。そこには、じっくりといいものを選択する余地はありません。あるのは、重さと規模感とゴミだけです。

ファーストフード文化は、私たちの目の前にあふれんばかりの食べ物があり、何を誰から買うのかの選択肢が広がるのが素晴らしいことだと信じさせます。ところが実際には、ファーストフード文化の生み出すものの多くは、ほんの数種類の企業が作り、育てています。選択肢があるというのは、幻想に過ぎません。

量が増えればゴミが増えるのです。家庭でも、スーパーマーケットでも、レストランでも同じです。

哲学者のウェンデル・ベリーは言います。
「家が火事になったときに燃えて困らないものを、そんなにたくさん所有するのはやめなさい」

中央集権を脱却すると、かかるお金が必ず増えるという人もたくさんいます。だから、オーガニックにも地域分散にもできないし、工業的農業モデルから自由になることができないのです。

ファストフード的価値観⑦
スピード

スピードは、ファストフード的価値観のエンジンとして、全ての価値観を加速させます。
求める気持ちばかりが超高速で動き、注意力は散漫になりました。まるで私たち皆が、物事には時間がかかることを忘れてしまったように。

食べ物のために時間を使うことは、その他すべてのことよりも重要でない。これはファストフードの洗脳の一部です。

スピードにはちょっとした魔法もあります。フランスから輸送されなくてはいけない本が、なんと翌日にアメリカに届いたのです。「どうやったらそんなふうに速くできるの?すごい!」とすっかり心を奪われて、本が実際にどんな工程を経て家に届いたかなんて気になりません。わずかな時間で輸送されるのに、どんな環境負荷があったのかなど、考えもしなくなってしまう。あろうことか、フランスから小包が届くまでの時間は一日であるべきだと思うようになります。

私たちが早さにとりつかれていることに、子どもたちも巻き込まています。子どもは本質的に、時間が必要です。子どもに指令を出して、その通りに応じることを期待してはいけません。

「スピード」が一番危険なのは、速く動きすぎると何が起こっているかが見えなくなくなってしまうことです。自分たちの食べ物がどこから来ているのかを考える時間も、食べ物がなぜそんなに安いのかを考える時間もないのです。

スローフード文化とは

スローフード的価値観①
美しさ

普遍的な美しさを前にすると、人は皆、自分が何か大きなもの、生命の不思議に抱かれていることに気づきます。
食べ物の中に美しさを見出すことができれば、人生は変わることがあります。

美しさには他のすべての価値観を包みこむ強い力があります。

本物の食べ物あることは、耕して育てる段階から一連のものとしてつながっています。食べ物は自然から離れることができないのです。

美意識は、個人が自己表現するための案内役です。

とてつもなく美しいものに触れると、私たちは畏敬の念を感じます。畏敬の念を感じる体験は、利己主義の素晴らしい解毒剤になります。

スローフード的価値観②
生物多様性

一つひとつ違うものたちがたくさん混ざり合って一つの仕組みを作るとき、その場は、豊かで、強靱で、知的で、回復力に富んでいます。どんな場においても多様性は、たくさんある要素の一つひとつを大事にするよう、私たちに語りかけます。

「画一化は自然の道ではありません。多様性こそが自然の道です」
(インドの環境活動家ヴァンダナ・シヴァの言葉)

スローフード的価値観③
季節を感じること

季節を感じること、つまり旬とは、季節がめぐるリズムで生き、食べることです。

季節を理解すれば、待つ力が身につき、ものごとの本質が見えるようになり、「今ここ」を生きながら自然と共存していくことが理解できるようになります。

「季節を感じること」の鍵となるのは、熟していることです。
たとえばエディブル・スクールヤードでは、子どもたちは何度もつまみ食いをするなかで、ラズベリーや桑の実がいつ熟すかをよくわかるようになります。

スローフード的価値観④
預かる責任

食べるという行為に意図を持って向き合うとき、自然世界と私たちの関係性が変わります。

環境再生型農業は、私たち自身の健康にも直に影響します。土に善玉菌が豊富に生息していれば、その土で育った食物に浸透します。それを食べれば善玉菌はそのまま人の腸内のマイクロバイオーム(腸内微生物叢)に住み着きます。

世界のどんな文化も、食は薬であると考えてきました。土が健康になれば地球が健康になり、そして私たちも健康でいられるのです。

スローフード的価値観⑤
働く喜び

仕事に喜びを見出すことができると、自分にとってどんな仕事が刺激的で充足感があって生産性高く動けるのかがわかるようになり、自分が働く場所を人間味溢れる場所に変えていけるようにもなります。

手を使うことで普段見ることがないものに目が向くようになります。

「手は心の器官である。縫い物も、材料を混ぜることも、りんごを収穫することも、すべての手仕事は瞑想的なのだ」(マリア・モンテッソーリ)※イタリアの医学博士、幼児教育者、科学者、フェミニスト。モンテッソーリ教育法の開発者として知られる。

スローフード的価値観⑥
シンプルであること

シンプルさを大事にすることは、本質を愛することです。物事の輪郭がはっきり見えていることは、世界の混乱を切り抜ける力となります。

シンプルであることは、何が本物であるかへと私たちを導く道であり、皆で目指すべき理想です。私たちを正直で誠実な人間へと導いてくれる、最も希少価値の高い価値観がシンプルさなのかもしれません。

スローフード的価値観⑦
生かしあうつながり

私たち皆、他者や自然と「生かしあうつながり」の中に生きています。

すべての食事が、私たちを根っこから地球の生命につなぎます。食べ物が自然の力と可能性に、畏怖すべき圧倒的な贈りものに、私たちをつないでくれるのです。本当の変化が始まるのは、そこからです。

まとめ
どう食べるか、どう生きるか。

従来のサプライチェーンを邪魔されるのが嫌で、かつ、スピード、利便性、いつでも手に入れたい病など、深く染みこんだファストフード的価値観を手放すことができない私たちには、感染症が広がり続けるのを止めることができません。

預かる責任、生物多様性、季節を感じること、美しさの価値観はすべて、ガーデン授業、キッチン授業の中に詰まっています。

鍵になるのは地域性です。
学校は、各地に固有の環境、気候、文化、伝統と織り合わさって存在しています。地域に根ざしたユニークな教育機関同士がつながり、多様な文化がそれぞれに生みだ出される好事例を世界中から集め、お互いから学び合うことがいま何よりも大切なのです。

スローフード的価値観は、自然が私たちにもたらした共有財産です。そこには力があります。価値観は私たち一人ひとりの中にすでにあり、目覚める時を待っているのです。

以上、「スローライフ宣言」の内容から気になった箇所を抜粋して紹介しました。共感できる内容があれば幸いです。

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