SDGsへの誤解について思うこと。 「SDGsのすべてに取り組んでいれば、持続可能な社会をつくれるのか?」


多分、そうとはいいがたいだろう。一番の問題は、さまざまな課題が複雑に結びつき、枝葉をのばし、結果簡単には解決できそうにない「巨大な複合的課題生産システム」が地球規模でできあがってしまって、自分たちの目指す道すらわからなくなってしまったことだろう。そして、そのことにやっと気がついた世界中のリーダーが、2030アジェンダという理想を掲げ、そこに向かうため、道に迷わないため、できれば同じ目的地に向かって行くためにつくった道案内(ガイド)がSDGsだ。

言い換えれば、SDGsは、迷ったときの気づきやヒント、取り組み方、考え方を教えてくれる手引きなのだ。その大きな目的は、持続可能な現在と未来、そしてだれも犠牲にしない、取り残さないための社会と環境づくりだ。(この「誰」には地球上のさまざまな命も含んでいる※生物多様性の経済学)

道案内だからいろいろな課題に対応しながら案内はしてくれるが、道をつくったりはしない。手引きは答えに向かうために導いてくれるが、答えをつくってはくれない。

それを理解すれば、「SDGsやってるから大丈夫」「エコなこと増えれば持続可能になるね」といったSDGs頼みな考えにはならないはず。SDGsをベースに、できるかぎりこの巨大な「複合的課題生産システム」の変革に向かわないといけない。そのためには、持続可能な未来のために何が必要で、何が課題なのかをきちんと理解できる市民(子どもたち)の教育・啓発が重要になってくるだろう。

教育・啓発がなぜそんなに重要?と疑問視するなら、それは、行政、企業や団体・機関等が大きな変革を推進するためには、多くの協力・応援が必要になるからに他ならない。(もちろん、間違った道に進まないように監視しなくてはいけない)

そんな時、「そんなことしたら今の生活が変わってしまう」「まだ、大丈夫でしょ?」「そんなことしても無駄だよ!」といった変革に消極的な人が多数派でなく、少数者であって欲しいからだ。

1972年、世界の科学者と有識者グループ「ローマクラブ」が出した『成長の限界』から、50年。「人類の経済活動がこのまま続けば、100年以内に持続不可能になると警告している」というローマクラブの警告を全く無視して、生態系からの搾取と大量生産・大量廃棄によって、100年を待たずに、既に限界を超えてしまっている地球環境や紛争を生み出す格差社会構造、そして飢餓と貧困によるさらなる悪循環。50年間で生み出してきたものの大変革(グレートリセット)が必要になっている。

ただ、明確な道筋はまだない。チャンスとリスクの両面で地図となり、どの方向に進むべきかという羅針盤の機能を備えたSDGsを頼りに、とにかく荒海を前進するしかないのが現状だ。

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