2020年05月09日 暮らし・文化・アート
馬は家族のパートナー。今ここにある自然・もの・人に生かされて暮らす、ストレス知らずの山里の日々
“人と一緒に働く馬”と暮らす魅力を、実践しながら伝えたい
うまや七福 : 横山晴樹さん・紀子さん
鳥のさえずりと、川のせせらぎ。風で木の葉が揺れる音。
それらをかき消すほどの、元気いっぱいな子どもたちの声が、山里の空の下に響きます。
子どもたちと同じくらいのびのびと過ごしているのは、ネコ、ヤギ、鶏、そして馬。
横山晴樹さん・紀子さんご夫婦は、長野県伊那市の高遠町山室地区で2012年から「うまや七福」を主宰しています。
馬が農具を引いて田畑を耕す「馬耕(ばこう)」を、自らの農的生活で実践しながら、「うまい米倶楽部」というオーナー制度の田んぼで仲間とともに「馬耕米」を育てています。
また、子どもたちが馬とふれあったり馬耕を体験できるイベントを、地元をはじめ各地で開いています。
横山さん夫妻がスタッフとして加わっているのは、高遠の特定NPO法人「フリーキッズ・ヴィレッジ」。
集落内の古民家で自給自足に挑戦中の生活を送る、横山さんも含めた複数の家族が活動を支え合う“子育て村”で、山村留学の受け入れやファミリーサポート事業などを行っています。
横山さんの自宅にも山村留学の子どもが同居して、農作業や動物の世話など、家族と同じ生活をしています。
(山村留学とは、農山漁村に小中学生が1年間単位で移り住み、地元の学校に通いながらさまざまな体験を積む教育活動)
昔の農村では当たり前だった、働く馬とともに暮らす生活。
それを今の日本で成り立たせている横山さんご夫婦。この家族の日々に流れる時間は、私たちとどれほど違うのだろうと興味を持たずにいられません。
馬がいれば、自分の周りにある自然だけで農の循環ができる
5月上旬。水を張った田んぼの中を、すき(犂=牛馬に引かせて田畑を耕す農具)を引いた栗毛の馬が力強く進みます。すきを支える人が後ろに付き、何周も歩き回ると、やがて田んぼの土はトロトロにやわらかくなります。
田植えの前の大事な作業、代かきです。
「すきが跳ねないように支える姿勢がよくないと、馬もつらいし、人間も置いていかれちゃう。馬耕は“田んぼの中のスポーツ”だと思ってます。馬耕具っていろんな種類があって、年代が進むにつれてアップデートしているし、どれも設計が素晴らしくて驚きますね。この大きな車輪が付いた乗用タイプは、よき理解者でもあるカナディアンファームのハセヤンさんに作ってもらって、1〜2年前から使っています」
晴樹さんとの息もピッタリなのは、ハフリンガーというオーストリア原産の品種の雄馬「ビンゴ」。
ハフリンガーはがっしりした体格で力も強く、乗馬用としても活躍しています。また、ホースセラピーにも使われるほど性格は温厚です。
「でも、ここまでになるには時間がかかりました。最初はごねる。バックしてみたり、ガガッと走り出したり。これが自分の仕事と自覚するスイッチを入れるには5〜6年かかって、呼吸が合ってきたのはやっと最近です。1人で扱うのも結構ハードルが高いんです」
晴樹さんの最初のパートナーは、市内の小学校で飼われていた在来種の木曽馬でした。
馬耕するのが夢だったと子どもたちから聞き、近所の方から馬耕具も引き継いで、挑戦。しかし馬の気質が不向きだったこともあり、夢をかなえられずに終わりました。
別の馬で再挑戦するもうまくいかず、一から学ぼうと、地域を挙げて馬搬(ばはん=切り出した木を馬が引いて山から運ぶ)の復活に力を入れている岩手県遠野へ修行に。その時の師匠から紹介されたのが今のビンゴでした。
「僕は1頭の馬ととことん付き合って関係性が結ばれる方なんですね。でも、地元の在来馬の木曽馬は、ぜひまたチャレンジしたいんです。地元の馬で米を作って、出たわらで作った堆肥を田んぼに戻して、という循環をやりたいですね。子馬が生まれて、馬の方も代々続いたらいいなと」
燃料を燃やして動くトラクターを使わず、馬の力を借りて耕す田畑。
働いた馬は、あぜの雑草を食べてくれるので、人が草を刈る必要はありません。
そして馬の出すふんは、立派な堆肥になって、畑の作物を育てます。
馬との暮らしが、ここにあるだけのもの=自然の循環の中に、しっかりと組み込まれているのを実感します。
20代、海の向こうで経験した、不便でも生きる実感がある人間らしい生活
晴樹さんが馬との暮らしを考えるきっかけは、20代のころの海外生活でした。
高卒で何も考えず働き始めた環境が厳しすぎ、勤めを辞めた後、海外でやりたいことを探してみたらとアドバイスを受けて、海の向こうへ飛び出しました。
日本とは違う気分で過ごせる人々と環境、そこで初めて出会った価値観に衝撃を受け、もっと広い世界を見て感じたいと、約10年間、日本で稼いでは旅をする生活を繰り返しました。
「世界には不便な場所もたくさんあって、大変だと言う人もいますけど、楽しそうに人が集まって一緒に働いている様子が、地域の風景にもなってるんですよね。それがとても素敵で、日本でもやってみたくなったんです」
ワーキングホリデーを利用して訪れたオーストラリアとニュージーランドで馬と暮らす人々に出会い、自分も馬とふれあううちに、馬のいる暮らしを夢見るようになりました。その後、30歳までに世界37カ国を回り、その思いを強くしていきます。
日本へ戻って、馬と一緒に働ける場を探す中で、「フリーキッズ・ヴィレッジ」にたどり着きました。同じころ、東京で働いていた紀子さんと出会い、結婚。ともに地元を離れ、2人で高遠へ移り住みました。
「高遠は、馬が飼えそうだなとピンときて選んだ土地です。信州は、会社員時代に遊びに来て『空気が違うな』と思って、その感覚が残ってたんです。新婚のころは大家族生活だったんですが、うちの奥さんは臆することがなくて。そういうバイタリティーのある人ってなかなかいないですよ(笑)」
地域の人も一緒になって、子どもたちのための自由な場づくり
築100年の古民家を、家族と仲間の手で改修した横山さんの自宅。
今暮らしているのは、ご夫婦と、晴樹さんのお父さん、6歳の長女、2歳の次女、そして山村留学に来ている高校1年生の男子と小学6年生の女の子です。
「長女は1歳半から馬に乗ってます。今はもう『田んぼで馬鍬(まんが)やりたい!』って言うくらい。馬って寒さよりも、夏の暑さの方が弱いので、ビンゴも夏場は蓼科の放牧場に出してちょっと静養させています」
そう話すのは紀子さん。
「馬のことを広めるために保育園や学校の体験学習に行くんですが、それってどうしても単発のイベントでしかなくて。これも大事だけど、暮らし自体をもっと子どもたちに伝えたいなと考えたら、『あれ? もしかして山村留学の子受け入れたいかも?』と気付いたんです。それで今年から初めて2人迎えることになって」
さまざまな事情・理由で山村留学に来る子どもたち。
その子たちの活動の場として、フリーキッズ・ヴィレッジが作った山里の遊び場は、やがて地元の子どもたちにも開放しようということになりました。
「市民団体の皆さんで作ってくれた遊具や、市のロータリークラブからいただいた寄付でできた木の遊具もあります。ドラム缶風呂は、囲いがボロボロになったので、一度壊して有志で直している最中。あっちはちょっと基地っぽく作ろうとしているところですね。地元のどんな子でも、いつでも来ていいよっていう、みんなのプレーパークみたいな感じにもっとしていきたいと思ってるんです」
東京で関わっていたプレーパーク(冒険遊び場)での経験も生かされ、たき火や水遊びも自由にできる“みんなの遊び場”を、紀子さんと地域の仲間が一緒になって作り上げました。
何もないから何でもできる。力を合わせれば、たくさんの可能性が
折しも、新型コロナによる、たくさんの深刻な問題が同時多発で起こっている現在。
しかし、大型量販店やコンビニもないこの山里に来てみると、それを意識せずに過ごせています。
「はい、ここではほとんど関係ないですね。自分たちで作った米と野菜。後ろの山に行けば山菜も毎日いっぱい採れるし、湧き水もあるし薪で火をたける。日々の暮らしに溶け込んだ地域の人たちとの交流もあります。こういうふうに暮らしが豊かだと、安心感があるし、都市部で感じるようなストレスもありません」
地域にある自然の恵み、住む人たちのさまざまな知恵と力を生かした、皆さんの生活。
何もない田舎の、少し不便な暮らしのように思えますが、実はそれこそが人間らしい生き方だと横山さんは考えます。
「何も決まっていないところから自分たちでつくり出す知恵さえあれば、何でもできる大きな可能性があるのが、この高遠での暮らし。知識や経験がなければ、昔からここに住んでいる地元の皆さんに教えてもらえばいいんです。何もないから、不便だからこそ、教えてもらって、考え出して、作り上げていく楽しみと喜びがある。そう思えるからここで生きていけるんです」
こういう暮らしもあると、特に次世代の子どもたちに伝えていきたいと話す横山さん。
泥の中をしっかりと歩むビンゴと、まさに人馬一体となった野良仕事の様子が、山里の景色にこれ以上ないほどなじんでいました。